くぼたのたんぼ Kubota
 
 

長野県・浦部勇一さん
■寿司屋→自動車関連メーカー→農業
「新規就農里親制度のおとうさん、おかあさんの元で、毎日楽しくやっています」
長野県・浦部勇一さん
■キャリアプロフィール
東京生まれ、神奈川育ち。東京の寿司屋で三年間修行の後に転職して、自動車関連メーカーに十五年間勤務。管理職昇格を機に、気に入っていた現場の仕事から離れる事になり、離職。かねてからの夢であった長野県への移住を果たすための求職活動中に「長野県 新規就農者里親制度」と出会い、いまでは「本当に、ほんとのおとうさん、おかあさんみたいに思っています」という里親さんのもとで就農。現在、浦部さんご自身が作っている田んぼは二町四反。加えて、里親である親方の二十町歩以上の田んぼ、作業受託をしている田んぼを合わせて、この秋は親方と二人で四十町歩の稲刈りが待っています。
自動車関連メーカーで十五年間勤務、「魔の管理職昇格」で現場から離れる
北アルプスの麓、清涼な水と空気に恵まれた信州安曇野・松川村で五年前から農業に従事する浦部勇一さんの職歴は、寿司屋からスタートします。浦部勇一さん・千代美さんご夫妻に、お話をお伺いしました。「東京の寿司屋で、丁稚奉公から始めました。まだ十代で、働くとお金が得られるんだというのが、正直、うれしかったです。三年間修行して、寿司を握るところまでいきました。それを一つの区切りとして、次は自動車関連メーカーに転職しました。もともと、高校の自動車科出身だったんです。エンジンのテストの部署にいました。面白くてしょうがなかったですよ」
仕事は順調でした。内燃機関組立技能士の資格も取得し、技能競技大会では県知事賞も授賞しました。しかし、待っていたのが「管理職への昇格」でした。
「管理職としての仕事が忙しくなり、現場にいられなくなったんです。そしたら、ストレスでおかしくなっちゃって。上からは数字のことばかり言われて、下からはこんなんじゃできないとか言われて。家に帰っても、黙ってて」
夢だった「長野に住みたい」という思いが、日増しにつのります。浦部さんご夫妻は、趣味のオートバイで、長野にはよくツーリングに行っていました。ある日、浦部さんは思いきって千代美さんに訊きます。「もう、会社やめて、長野行ってもいい?」。すると千代美さんは「いいんじゃない」と、あっさりオーケーしてくれたそうです。浦部さん曰く。「あんまりあっさり言うんで、こっちは拍子抜けしちゃって(笑)」。
メーカー時代の浦部勇一さん
東京でIターンフェアに参加、「長野県 新規就農里親制度」に出会う
求職活動を始めた浦部さんは、東京で開催されたIターンフェアに何度か足を運びました。「いろいろな企業さんが来ていて、そのなかに長野県の農業のブースがあって、里親制度のポスターがあったんですよ」

■長野県 新規就農里親制度

新規就農を希望される方にとって、技術の習得や、農地・住宅の確保は大きな課題です。
長野県では、独立就農を積極的に支援したいと考えている熟練農業者の方を「里親」として登録し、新規就農希望者の方に紹介する「長野県 新規就農里親制度」により、県内での就農を支援しています。
米作りだけではなく、野菜、花き(切り花、鉢物などの総称)、果樹、畜産、きのこ等、さまざまな作物について熟練農業者の方が「里親」をなさっています。
また、就農コーディネーターが、就農プランの作成から里親の紹介まで相談に応じて、支援しています。

長野県 新規就農里親制度のホームページ
松川村の野菜
十年来、ツーリングの要所にしていた山荘の経営者に相談
長野県の里親制度にぴんと来た浦部さんは、十年来、ツーリングの要所にしていた山荘の経営者に相談しました。「山荘のおかあさんに聞いてみたんですよ、こういう制度があって、僕たちやってみたいんで、頼んでいいですかって。そしたら、いいよって言ってくださって、その話を県に持っていって、とんとんと話が決まりました」
農業に従事しながら山荘を経営していたご夫妻が、浦部さんのために里親になってくれました。
「今住んでいるこの家も、おかあさんが見つけてれたんです。大家さんにお会いして、お金もないしと最初から説明したら、凄く安く貸してくださったんです」
山荘
念願の、引っ越し。松川村に居を構え、里親さんに挨拶に行きました。すると、大型トラクタの横に、どう見ても真新しい小さ目のトラクタがありました。
「これは誰が乗るのって聞いたら、おかあさんに背中をどんと叩かれて『勇さんが乗るのよ』って言われちゃって。そして、ツーリングで通っていた頃は寡黙で、絶対しゃべりそうに無い感じだった親方がぽつりと、『新車リースしたから、おまえこれ乗れや』って」
浦部勇一さんの自宅
田んぼの場所も、稲の色も、何も分からなかった一年目
「一年目は七反歩から始めました。親方が休ませている田んぼがあって、『そこ、作っていいから、やってみな』って。最初の年は、何が何だか分からないうちに終わっちゃって。親方に『田んぼをトラクタで起こして来い(耕して来い)』って言われて、場所を聞いても分からないんですよ、みんな同じに見えて。親方の田んぼだけで百六十枚以上あるんですよ。二年目から、ようやく田んぼの場所も覚え始めました。田んぼは、一枚一枚くせが違います。同じように水をかけても、次の日にすっからかんになっている田んぼや、四日五日平気で水がついてる田んぼがあって、そういうのも面白くなってきました。稲の色も、最初は黄色いのとか、青いのとか言われても、みんな同じに見えちゃうんですよ。でも、色も分かってきて、それも面白いんです。いまでは、黄色くなってきたから、そろそろ穂肥(ほごえ)ですよね、なんて話を親方とできるようになりました」
※穂肥=稲が穂を作る時期に与える肥料のことです。
 
「村は、狭い(笑)」。見守りの情報ネットワーク
浦部さんは里親制度を利用して松川村に新規就農した第一号、注目の新人のようです。
「僕、村一号なんですよ。だから、仕事ぶりを誰かしら見てくれていて、親方に報告してくれるんですよ(笑)。親方に言われて草刈りにいって、ついでに違う場所も刈って帰ると、親方に『お前、あそこでも草刈ってただろ』って。『何で知ってるんですか』って聞いたら『ヒロちゃんから聞いた』って。親方の田んぼが先で、自分の田んぼの草刈りは後回しになるんで、ある日、夜の七時にダーッと刈ってたら、翌日親方が『お前、昨日は夜に草刈ってたって? 一生懸命やってたって言ってたぞ』って。村、狭いですよ(笑)。どこで何やってたか、親方の耳に入っちゃうんです」
期待の新人の登場で、村も活性化しているようです。一年目、七反だった田んぼは現在、二町四反になっています。
「二年目には、親方の知り合いの方が『貸してやるからやれや』って。それで一町五反になりました。今年に入る前に、『あの若い衆はがんばってるんで、うちの田んぼ貸してやるんでやらないか』って。こんなに早く、ここまで増えるとは思っていませんでした」
田植え


  次のページへ

チャレンジャーの風景トップページへ戻る▲



サイトマップ
 
トップページへ トップページへ