昭和時代1926年から1989年

昭和時代1

昭和8年頃には、動力によって田んぼを耕す動力耕耘機が実用化されるようになりました。しかし、太平洋戦争による石油資源の極端な不足のため、動力耕耘機は多くの農家が憧れていながらも普及するには至りませんでした。

糧管理法 (しょくりょうかんりほう)

1942年 (昭和17年)
戦争のため食糧不足になり、お米などを国家管理にしました。農家はお米を差し出し、人びとは配給を受けました。
終戦の年1945年 (昭和20年) 、戦争で国土が荒れ果て、また労働力が不足し、日本のお米の生産高は約587万トンに落ち込みました。当時の人口は7200万人で、お米が足りませんでした。都会に住む人々は、食べ物を求めて農村に買い出しに出かけました。

昭和時代2

昭和30年代以降の工業化の進展にともない、農業水利の改良、圃場整備事業も進み、新しい栽培技術の展開によって収量水準は向上しました。機械化の普及と相まって、水田経営は規模拡大の方向に見直されるようになりました。

田植機は明治時代から多くの人々が身代を投げ打ってその研究をしてきました。どの田植機も長さが30cmくらいある昔ながらの大きな苗、成苗をつかっていましたから、うまくいきませんでした。それが、昭和40年前後にいまのような10cmほどの小さい苗、稚苗を植える田植機が登場して大成功をおさめ、一気に普及するようになりました。農家の何百年にわたる悲願がここに達成されたのです。

昭和時代3

田んぼは10aあたりの労働時間が、昭和25年では207時間でしたが、平成14年では32時間まで減少しています。
除草剤の使用が一般的となりました。アメリカで開発された2・4ーDという除草剤がまたたくまに日本の田んぼに普及したのです。夏の炎天下のもとで、腰を曲げての長時間作業から多くの女性たちを解放しました。

日本人の主食といわれながら、本当の意味で日本人がお米をいつでも食べられるようになったのは戦後20年も経ってから、つまり昭和40年代の初めからです。昭和40代年の初め頃は、さまざまな分野で近代化が展開されていき、農業では機械化やカントリーエレベーター (乾燥・貯蔵施設) の登場などがお米の生産の拡大に貢献しました。

  • 昭和時代4
  • 昭和時代5

大正時代

平成