安土桃山時代1574年から1603年

安土桃山時代

新田が開発され、新たな村ができ、農家戸数も増えるという状況の中で、戦国大名たちは自己の領地についての検地を行っていました。それを統一して全国的に行ったのが秀吉です。

太閤検地 (たいこうけんち) 1582年 (天正10年)
豊臣秀吉は全国の土地、収穫量、年貢量などを定めて記録しました。秀吉はさらに「一地一作人」の原則を定めました。それまでの荘園制では、農民と領主の間に荘官や地頭、守護など、土地に権利を持つ者が幾重にも入りくんでいたのですが、秀吉は中間搾取を排除して、その土地の年貢はその土地を耕す農民自身に受け持たせることとし、土地台帳に農民の名を記し、農民の自立心を促して、同時に富の集中をはかったのです。
検地によって、それまで古い荘園制のなごりがあった土地制度はまったく変えられました。

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