弥生時代紀元前3世紀から紀元後4世紀

弥生時代

弥生時代中頃には、東北地方の北部まで稲作が広がっていたと思われます。
1943年に発見された静岡県の登呂遺跡の弥生水田は、矢板や杭で補強した畦 (あぜ) できちんと区分され、用水路や堰 (せき) も整備されていました。12戸の竪穴式住居のあとのほかに、約7万平方メートルの田と、2つの高床式の倉庫のあとが発見されています。美しい農村風景が見られたようです。

米は貯えることができ、貯えの大小によって貧富の差が生まれました。また、農業に必要な治水、灌漑 (かんがい) などの共同作業のために村ができ、それを統率する首長があらわれました。
村同士は戦ったり、協力したりしながら、より大きな村になり、やがて小さな国になっていきました。
紀元後3世紀の日本には30の国があり、最強の国が女王・卑弥呼 (ひみこ) が統率する邪馬台国 (やまたいこく) だったと伝えられています。
国々はやがて統一されて「日本」という大きな国が作られていきます。米は日本の社会の基礎となりました。
弥生時代の農具のほとんどがカシ材を加工した木製品です。木鍬 (きくわ) ・木鋤 (きすき) などを使って田を耕し、干し草などの肥料は田下駄 (たげた) や大足によって田んぼに踏み込まれます。
籾 (もみ) は田んぼにじかに播かれ、稲が実ると石包丁で穂先だけ刈り取りました。脱穀には、木臼 (うす) と竪杵 (たてぎね) などが使われ、穀物は貯蔵穴や高床式倉庫に保管されました。

縄文時代

古墳時代